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土井善晴氏から、食材との向き合い方を学ぶ

北海道大学CoSTEPの開講式特別プログラム「ハレとケのコミュニケーション」にご登壇の、料理研究家土井善晴先生のお話を聞いてきました。



料理ってめんどくさいな、と思うことがあります。
「料理に手をかけること=ちゃんと生きていること」のような風潮もその重苦しさに拍車をかけます。
でも手近にあるもので一緒に食べる誰かを思って作れば、仕上がりがどんな形でもよいのだと思います。それを土井先生は「一汁一菜(具だくさんみそ汁と漬物とごはん)でよい」とおっしゃいます。


サルベージ・パーティをしていても参加者さんから
「作り方を教えてもらえないんですか!?」と驚かれることがあります。
「カレー」とかレシピ名のついたものでなくても、手元にある材料だけで、みんなであれこれ知恵を出し合って作る料理がそれなりに食べられるものであれば、
食事とは本来それでいいはず。
レシピに合わせて何とか材料を揃えようとすると食品ロスが出るし、料理も苦しくなります。

私たちは、自分の想いを形にすることを正しいことと思い、そのために必死に生きています。
それは間違ってはいないと思います。でもそれだけが正しいことだとも思いません。
あるべき方向に向けて必死にがんばるとき、あるがままに任せるとき、両方必要なのだと思います。
土井先生は著書のなかでこうおっしゃっています。

「基本的にね、おいしいものをつくろうということは、和食では考えないんですよ。(中略)おいしいものをはもともとおいしいから、おいしく食べなさい、それでないともったいない。そのために(中略)下ごしらえというものをすごく重要視するんですね。」(土井善晴中島岳志『料理と利他』ミシマ社、2020)

「どんな食材を使おうかと考えることは、すでに台所の外に飛び出して、社会や大自然を思っていることにつながります。(土井善晴『一汁一菜でよいという提案』グラフィック社、2021)」

食材は、自然からいただくものです。
それを前に「自分がおいしくしなくちゃ」という心意気は一見まじめで健気なようで、
でも実は自分の力を過信していることなのかもしれません。

わが家の次男はなすときのこが苦手です。
でもそれにあれこれ手を加え、苦手なにおいや食感を変えれば、一瞬食べられるかもしれない。でもそれは本質的解決ではありません。
なすやきのこが苦手であれば、それはそれでいい。
でもその代わり、なすときのこを食卓から排除することはしない。ふだんどおり、まわりの人がおいしく食べる姿を見せるだけでいい。
あるいはそれを育てたり調理したりと、距離を近づけることから始めるのもいい。
そして彼がおいしいなぁと思える時が来るのを待てばよいと思います。
来ないこともあるかもしれません。でもそれでいい。
未就園児向け料理教室の「野菜ぱくぱくキッチン」でお伝えしてきたこととつながり、不思議なご縁を感じました。

何だか私たちは、自分の思い通りにしようとしすぎて、あるいは誰かが掲げたあるべき姿という虚像に向けて、必死に頑張らされている気がします。
自分はどう生きていきたいのか、それは食や食材とどう向き合うのかにつながっていくと思います。